592年に推古天皇が即位した豊浦宮から694年持統天皇が藤原京へ遷都するまでの約100年間は、奈良の南の地飛鳥周辺に宮殿が集中したので飛鳥京と呼ぶことがある。このような宮には、小墾田宮(603~630年)、飛鳥岡本宮(630~636年)、飛鳥板蓋宮(643~655年)、後飛鳥岡本宮(656~672年)、飛鳥浄御原宮(672~694年)などがある。その頃の大規模な居館がいくつか発見されている。それらは地面に穴を掘って柱の根本を固定する掘立柱建物である。これらの建物の内七世紀以降では、中心建物は南を正面としているのが特徴である。
後には、中国王朝の影響で京(みやこ)が造営されるようになり、天皇は京の中の内裏(だいり)に定着し、これを皇居とした。国政の中枢である朝堂院をはじめとする中央官衙は内裏に併設され、合わせて宮城と呼ばれる。
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京には、難波京(大阪)、藤原京(奈良)、平城京(奈良)、平安京(京都)などがある。
平安京は、794年(延暦13年)に桓武天皇によって定められた。960年(天徳4年)に内裏が焼失し、再建されるまで冷泉院を仮の皇居とした。976年(貞元元年)にも内裏が被災し、藤原兼通の邸宅である堀河殿を仮皇居としている。平安京の内裏はしばしば焼亡したため、摂関や外戚など臣下の邸宅を仮皇居(里内裏)とすることも多かった。平安時代末期からは、内裏があっても里内裏を皇居とすることが一般化した。1227年(安貞元年)に宮城(大内裏)が焼失してからは内裏は再建されず、里内裏を転々とした。南北朝時代の1331年(元弘元年)、北朝の光厳天皇が土御門東洞院殿で即位してからは、この御殿が内裏に定められた。これが土御門内裏と呼ばれ、現在の京都御所の前身となる。