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射石砲はモンス・メグやウルバンの巨砲に代表される

中世末期、射石砲は「モンス・メグ」や「ウルバンの巨砲」に代表されるように大口径化が進み砲身も長くなっていくが、一部のものは初期の射石砲の形態を踏襲し、臼砲として砲の一分野を形成しつつ第二次大戦期まで500年以上にわたって使用され続けた。

これは、巨大化した砲に大きな仰角をとらせることが至難で、防壁などの遮蔽物越しに曲射する目的であれば射角の変更が容易な臼砲のほうが扱い易かったためである。大型の砲が俯仰を自在に変更するためには、平衡機の発明を待たねばならない。

15世紀半ばまで大半の火砲は鉄製だったが、近世に入ると青銅砲が主流となる。その理由は、(1)柔軟性の高い青銅は鉄に比べ砲身の厚みや口径を規格どおりに生産でき、射撃時の燃焼エネルギーの損失が少なかったこと、(2)加熱法の問題から、鍛造の鉄製砲よりも鋳造の青銅砲のほうが短時間で製造でき、また錫と銅の鉱山開発が進んで原料が恒常的に入手できるようになり量産が容易になったこと、(3)火薬の改良が進んで爆発力が向上し、当時の粗鉄では砲腔破裂が頻発するようになったため、粘りがある青銅のほうが耐久性に優れていたこと、等である。この結果、16世紀前半(1520年頃)に鉄製砲は消滅した。
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砲身の肉厚を薄くしても強度を保てるようになると、軍の移動に随伴できる機動的な「野砲」が登場し、主に野戦用であったが攻城戦にも用いられた。また、従来の大口径・短砲身砲も軽量化が進み、野砲と区別するため「臼砲」と呼ばれるようになった。臼砲は射程こそ短いものの、大口径砲弾の破壊力は攻城戦に欠かせないものとなる。これらの砲の普及によって、重量過大で運搬や設置に多大な労力を要する重ボンバルドは急速に姿を消していった。

野砲や臼砲の登場で、野戦・攻城戦ともに戦術面で大きな変革が起こる。特に攻城戦では城砦の防御力と比して火砲の攻撃力が圧倒的になり、薄く高い防壁と尖塔からなる中世様式の城砦は容易に粉砕されるようになった。例えばイタリア戦争(1494-1559)において、140門の機動火砲を率いたフランスのシャルル8世はイタリアの諸都市を瞬く間に席捲している。

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2009年11月30日 00:22に投稿されたエントリーのページです。

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